新年あけましておめでとうございます
2009年1月1日
昨年は大変お世話になりました。
ありがとうございました。
昨年、いろいろなことがあり、
あらためて、自分が多くの方にささえられて生きている、
いや、生かされているのだ、ということを
強く強く実感いたしました。
そしてまた、
“いのち”の大切さ、“人生”の有限性についても
あらためて気付かされました。
そこで、私は、今年の目標をこう定めました。
「やりたいことは、全部やる」
です。
生きることに対して遠慮していても何も始まらない。
もう今年は、やりたいと思ったことは全部全部やってみようと思います。
自分で自分に対して考えていた制限みたいなものを
今年はとっぱらってみようと思います。
暴走することもあるかもしれません。
突然ひきこもることもあるかもしれません。
しかし私にとっては、演劇映画作品を作っていくことが
ほとんど唯一の社会とのつながりですので、
たとえどんなに、たよりなく、かぼそい、つながりの糸であっても
決してその糸のはしっこを手放したくはないのです。
年末から年越しにかけて、
地元下関の友達からたくさん電話をもらいました。
下関は雪がふっているそうですね。
友達の声を聴きながら、下関にいたころのことを思い出しました。
私は本当に、話をするのが苦手で、なにかを伝えるのが苦手で、
とにかく言葉というものが苦手でした。
その「苦手さ」ゆえに、
言葉、会話、言語というものへの興味を持ち、
演劇映画文学戯曲言語学への関心を深めてきました。
私は、言葉が得意ではありません。
どちらかというと、はっきりと、「苦手」という意識があります。
そんな私ですが、
あることがきっかけで、あるとき、死ぬかもしれない、ということがありました。
今になって冷静に考えれば、そんなことで死なないだろう、と思えるのですが
当時2歳か3歳の幼児だった私にとっては、ほんとに、死ぬかもしれない、と
思ったのです。
そのときに、いよいよ「死」が自分に迫ってきたとき、
はっきりと
「死にたくない」
と思いました。
正確に言うと、
「いま死にたくない」
という思いでした。
人間いつかは死ぬ、という決定的事実は
たとえ3歳の私でもちゃんと分かっていましたが、
しかし、
「たしかに私はいつかは死ぬ。でも、いま、死にたくはない」
と強く思ったのです。
3歳児がそんなこと考えるかよ、というツッコミもあるかもしれませんが
本当にそう思ったのです。
いま、死にたくはない、と。
「人は誰しも、なにかをやるために生まれてきた」
「人は誰しも、やるべきことを背負っている」
とか、そういう考え方はどちらかというと苦手です。
人は生きているだけでいい、それだけでじゅうぶんだ、という立場の私ですが、
しかし、そのときは、はっきりと、そう思ったことをおぼえています。
なぜ、そう思ったんだろう?
それはすなわち、
「他人から死を押し付けられるのは耐えられない」
という気持ちだったんだろうと思います。
なにかをやるために生まれてきたわけじゃない。
やるべきことを背負って生まれてくるわけがない。
でも、「死」は、誰かから押し付けられるものじゃない。
それだけは、はっきりと言いたい。
私は、生きていたい。
ただ、生きていたい。
これを声に出す権利は、誰にもじゃまされたくない。
そう思いました。
私は、誰の役にもたっていない、何の役にもたっていない、
能力もない、ひどい、最低の人間かもしれないが、
それでも、「生きたい」という気持ちだけは
誰にもじゃまされず、きっぱりと、大声でいう権利がある。
「あたしは、いま、ここに、生きてる!」と、全世界に向けて、言う権利がある。
そう、3歳の私は、はっきりと思いました。
結果的には、そこから逃れることができて、
3歳の私は生きのびることができたのですが、
それ以降、つらくて、もうだめだ、死ぬ、という気持ちになったときに、
いつもこの「生の欲望」の原点を思い出します。
今年は、その、「生の欲望」の原点を
より深くさぐってゆく年にしたいと思っています。
「生の欲望」のみならず、いろいろと「欲」が深いみさかです。
「欲」とか「欲望」というのは、どちらかというと悪いイメージだと思いますが、
しかし、
自分のなかに、どす黒く存在する、さまざまな欲望、
それらの欲望のおかげで、私は生きることができている、と思います。
「欲望」と「言葉」が、今年の私の探求テーマとなりそうです。
心をこめて、丁寧に、
演劇映画作品をつくってゆきたいと思っております。
今年も、「欲深い」みさかを、どうぞよろしくお願いいたします。
三坂知絵子